ジャパンローヤルゼリー/創業者・山口喜久二氏を追悼/「お別れの会」に210人が出席(2022年11月24日号)

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「お別れの会」会場の様子

「お別れの会」会場の様子

 ローヤルゼリー販売の老舗、ジャパンローヤルゼリー(JRJ、本社東京都、山口喜久社長、(電)03―3345―2888)は11月15日、79歳で6月9日に死去した創業者・山口喜久二氏の「お別れの会」を、都内の京王プラザホテルで開催した。約210人が出席した。故人が日頃から言っていたという「悲しいときは笑え、楽しいときは泣け」という言葉どおり、明るく送り出す会となった。
 冒頭、故人の足跡をしのぶ映像が流された。
 故人は1943年3月29日に生誕。余命宣告をされた父を救ったローヤルゼリーの販売を開始した経緯を回顧した。その後の組織拡大の快進撃も紹介。学術面では、博士号を取得したことにも触れた。故人が残した「人は人に感じ、人を呼ぶ」という言葉で映像は締めくくられていた。
 続いて、代理店組織「JRJファミリー」の代表が壇上に立ち、思いを語った。「わが子を育てるかのように、一流・最高に育てようとしてくださった親心に感謝したい」「ご遺志に背かぬよう私たちも精進していく」「今頃は、愛したミツバチの羽音を子守歌にお休みのことだろう。安らかにお休みください」などと話した。
 故人と親交の深かった、ギタリストのアントニオ古賀や、その息子のギタリストのOTOYA(おとや)によるギターの演奏も行われた。サプライズで壇上に招かれた山口喜久社長が、ギター演奏をバックに「夏の終わりのハーモニー」を歌う一幕もあった。
 アントニオ古賀と、故・山口喜久二氏、山口社長は、お互いに「アントン・キク・ヨシ」と呼び合う仲だったという。山口社長がアントニオ古賀に「アントン、なぜ壇上に呼んでくれたの?」と聞くと、アントニオ古賀は「もちろん、キクが呼べって言ったからだよ」と答えた。
 山口社長はその後のあいさつで「父は、『JRJファミリー』は宝と、小さいころから、ずっと言っていた。わがままでご迷惑をおかけしたこともあったと思うが、父をサポートしてくださった方々に改めて感謝したい」「父は、素晴らしい事業を残してくれた。思いを受け継いで、発展させていこうという決意ができた」「それも皆さんのおかげ。本当にありがとう」などと話した。
 献杯の後は、それぞれのテーブルで食事をしながら、出席者が故人の思い出を語り合っていた。
 出席者からは「熱海の別荘で蛍狩りをする際に、蛍の数が少ないといって、トラックで大量の蛍を運び、放したことがあった。そのぐらい豪快な人だった」「一緒に中国に行ったことがあったが、おもてなしのプロで、驚かされた」「常に背筋の伸びた、かっこいい人だった」「無理なことをおっしゃることもあったが、不思議と憎めない人だった」「常にパワフルで、行動力に満ちた人だった」といった、故人の思い出をしのぶ声が聞かれた。

創業者の故・山口喜久二氏

創業者の故・山口喜久二氏

故人と親交の深かったギタリストの演奏も行われた(中央は山口社長)

故人と親交の深かったギタリストの演奏も行われた(中央は山口社長)

記事は取材・執筆時の情報で、現在は異なる場合があります。

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